教室の風景にみる文化―日本、アメリカ、デンマーク
学校の教室は、国が違っても共通する部分はかなり多い。正面に黒板があって、児童生徒一人一人に割り当てられた机と椅子が並んでいるのが一般的な教室空間である。(そうでないかたちに変革した試みも多いが、そうした例については別の機会に述べたい。)しかし、それでも全体から受ける印象はずいぶん異なる。建築や家具の形態、素材、色調からくる違いはもちろんあるが、それよりも教材や掲示物、教室内にもちこまれる物品や、それらが発するメッセージによる違いは特に大きい。
筆者はこれまで日本、アメリカ、デンマークの学校を建築計画の調査のために訪問してきたが、そのたびに教室の雰囲気からその社会・文化の違いを強く感じてきた。ここでは、このような観点から教室の風景を紹介したいと思う。
学校は公式なカリキュラムに規定された教科で教えられる知識・技能を学ぶ場所であるが、同時に教師のふるまいや児童生徒への接し方、同級生などの人間関係、教科書にとりあげられる内容などを通じて学んでいく「かくれたカリキュラム」が存在することが教育学では指摘されている。例えば、日米の学校を比較したときに、アメリカの学校では個人の能力や自己顕示が重視されるのに対して、日本の学校では協調性と集団への同調が要求される(恒吉僚子『人間形成の日米比較―かくれたカリキュラム』中公新書)。
教室の物理的な環境もさまざまなメッセージを発しており、その中で生活することで児童生徒は背景にある社会・文化的な価値観を学んでいく。そういう意味では、教室空間は「かくれたカリキュラム」の一端を担っているといえる。そもそも教室の基本的な空間構成は、知識を有する一人の教師が、それを大勢の生徒に効率的に伝達するという、「学校」の根幹をなす共通のシステム観を表すものだが、個々の教師や児童生徒が、与えられた建築環境に持ち込んだものには文化が強く表れる。
掲示物教室の掲示物は、もっとも強く学校や教師の考えかた、児童生徒にこうあってほしいという方向づけを表すものといえよう。アメリカの教室で印象深いのは、論理的・科学的な思考の重視と、アメリカという国家を強調する姿勢である。写真1、2はともに、アメリカのある学校で撮ったものだ。写真1の掲示には「科学的方法」として「目的・調査・仮説・実験・分析・結論」というステップが挙げてある。小学生であっても(これは3年生の教室)、早い段階からこうした思考体系を身につけさせようという意志が感じられる。写真2は1年生の教室だが、当時の大統領クリントンの肖像画が置いてある。また、壁の最上部には歴代の大統領の肖像画が並んでいる。学校に入った最初の段階で、児童は自分たちがアメリカの国民であって、そのリーダーが誰であるかを意識するようになるのである。
日本の学校には学級・学年の目標や「めあて」が掲げてあり、内容はどちらかといえば精神的な目標が多いように感じる。また、「みんな」や「仲よく」が強調される傾向がある。(写真3、4)


国旗の意味づけや扱いは国によって違う。日本ではデリケートな問題を含むが、アメリカの学校では教室の正面に国旗が掲げてあるのをよく見る(写真5)。さきの大統領の肖像画の例と同様、教室は常に「アメリカ」が意識される空間になっている。デンマークでは国旗はもっと個人的な意味あいをもつ。誕生日に国旗を掲げる習慣があり、(筆者はこれには驚いたのだが)オフィスではデスクや部屋の入口に小さな国旗をかけたり、家の庭先に国旗を立てるのだ。学校でも、クラスに誕生日を迎えた児童がいれば、その日は机の傍らに国旗を立てておく(写真6)。

学校ではふつう、「勉強に関係ないものは持ってきてはいけない」と言われる。筆者が見てきた範囲では、日本とアメリカはこの点は共通するようだ。
ところが、デンマークの多くの学校では持ち物は特に制限されている様子がなく、おもちゃや人形、雑誌を持ってくる児童生徒も多い。写真7、8はいずれも授業中の風景だが、きちんと勉強している限りはお気に入りの人形と「いっしょ」でもかまわないし、休み時間であれば好きな雑誌を読んでいてもよい。高学年では教室の掲示板や壁に生徒が好きなタレントや俳優のポスターを貼っているのも見かける。

こうした例から何を読み取ることができるのだろうか。掲示物からいえば、日本の学校では学級や学年 、「みんな」といった身近な集団の一員であることが強調されるのに対して、アメリカの学校は「アメリカ」という、ある意味では理念的な集団の一員であることを教えようとしていると思われる。また、持ち物からは、日本とアメリカでは学校が「勉強のための場所」であることを重要視するが、デンマークでは「勉強すること」以外には干渉しないという風土があるのではないかと考えられる。前者は帰属集団の捉えかたの違いであり、後者は学校という場の意味づけの違いを表しているといえよう。
もちろん、ここでは限られた事例からあえて図式的に解釈したので異なる見かたも可能だろう。また、同じ国でも学校によって違いはある。しかし、意図していてもしていなくても、教室空間が何らかのメッセージを発しており、授業という機能以外の面で教室空間が児童生徒の内面に大きな影響を与えるのは確かだろう。

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学校に限りませんが、同じような建物であっても風景をつくるのは人だなあ、とよく思います。
日本で上履きに履き替えるのは、土を持ち込まないという実際的な理由以外に、学校は意識の上では「ソト」ではなく「ウチ」だからではないか?と感じるのですが、どうでしょうか。
掃除の時に床を雑巾(モップではなく)掛けする
以前に学校の家具について考えたとき、学校では掃除の際、机の上の椅子を挙げて運ぶという動作があり、家具の自由なデザインがしにくい、と思ったことがありました。これって、学校を神聖な場所と考えていた昔からの日本らしさが学校に残る一面のような気がしませんか?