「オープンスペース」「オープンスクール」「オープンプラン」って?
学校を研究対象とする我々の間で、「オープンスペース」という言葉は、かなり強い特定のイメージを持った言葉として認識されているように思います。少なくとも私はこの言葉を聞くと、真っ先に(学校の)教室から連続的に広がる学習空間をイメージしてしまいます。しかし同時に、この言葉は当然、学校建築専用の言葉などではなく、一般に使われる用語であるということも認識するのです。改めて、辞書で「オープンスペース(open space)」を引いてみるとそこには、「都市や敷地内で、建物のたっていない土地。空地。」「オープン・スペース、空地、広場、空間」とあります。「オープンスペース」はそもそも、屋外空間を指している言葉なのです。何に妨げられることもなく広く開かれた開放的な(openな)空間(space)。そういう意味を持つこの単語がどうして学校における多目的な学習(屋内の)空間を表す言葉として使われるようになったのか、ここで考えてみようと思います。
学校の開かれた学習空間を示す言葉、またはそうした学校を示す言葉として他にも「オープンプラン(スクール)」とか「オープンスクール」といったものがあります。それらは、今日同様の意味を持った言葉としても、またそれぞれ異なる意味をもった言葉としても使われており、それぞれのニュアンスは使う人それぞれによって違います。学校建築を語るとき、ここまで一般的に使われるようになったこれらの言葉が、実は明確な定義や共通認識なく普及しているのは、実に不思議なことです。
ここで全く勝手ながら、これらの言葉に関する私の解釈を整理してみることにします。
オープンプラン(スクール):「オープンプラン」とは、まさしく建築における平面計画上の言葉といっていいでしょう。広い空間の中を家具や設えで仕切って機能を配置するようなレイアウトのことを指す言葉です。60年代~70年代にアメリカで登場した、体育館のような大空間を家具やパーティションなどで仕切りながら機能を配置した学校のように、機能諸室それぞれが一体の連続した空間に配置された学校です。このことから、「オープンプラン(スクール)」という言葉は、そこで行われる教育理念や方針に関わらず、純粋に建築様式を指す言葉として捉えています。
オープンスクール:この言葉には、私は2つのニュアンスを感じます。教育理念、学校運営の面での「開かれた(opened)学校(school)」と、前述した「オープンプランスクール」の略語としての意味です。しかし、この両者は同じようでいて、そこ(学校)での運営や理念といったソフトを示す言葉か、その建物の形状(ハード)を示す言葉かという点で大きく意味が異なるといえるでしょう。
それでは、今や日本中で見られるようになった「オープンスクール」は、どうでしょう。広く普及している「オープン型の学校」は、一般的に並列された教室とその前(廊下だった部分)に配置された空間が、従来廊下と教室を仕切っていた部分の壁を取り去って対面するように作られています。しかし、当然、学級(教室)と学級(教室)とを仕切る壁もありますし、教室と呼ばれる部分の領域は明確です。これは、前述した建築平面形態の1つである「オープンプラン」とも、ちょっと違う気がします。
日本に「オープンな学校(教室)」が誕生してから、およそ30年が経ちます。イギリスやアメリカの個別化・個性化教育の理念から誕生したオープンスクールが、一斉画一的な教育に疑問を持つ建築家や研究者、教育現場の先生方によって日本の学校に取り入れられたのです。そこには、オープンな理念の教育を実現するために必要な場所として、従来の教室とは違う「オープンスペース」という学習環境が提案されました。子どもたちの自主的な学びをサポートすべく、先生方が学級を離れて連携するためには、クラスや教室という閉じた環境を開く必要があったのです。学びの活動を展開したいと思ったとき、壁や扉、学級や担任という制度に妨げられずに展開できる環境として設けられた空間が、学校における「オープンスペース」だったのでしょう。70年代に登場した加藤学園(私立)や緖川小学校(愛知県)は、そうした理念が形(空間)として実った最初の事例として、多くの人に衝撃を与えたのです。
その衝撃や感動の波紋が伝播するように、80年代からは急速に全国的に教室のオープン化の試みが広がっていきます。しかし、その普及の波は次第に「理念」の部分を忘れ「オープンな教室」という目に見える形だけを伝えるようになってしまいました。開かれた教室の中で、それぞれの学級の授業だけを繰り返す学校。隣の教室がうるさくて授業ができない、気が散る、と嘆く先生方。何のためにこの教室は開かれているのか、を知ることなく次々と建てられたオープン型の学校では、こうした先生方の声が多く聞かれました。
しかし、総合的な学習・生活科などが始まり、その理念が広く浸透してきた近年、ゆっくりとではありますが、「オープンの理念」がやっと必要とされるようになってきているように思えます。学年連携で進める学習形態などが増えるに従って、徐々にオープンな環境のメリットや意味が理解され始めたのではないでしょうか。教育理念・方法といったソフトが開かれてこそ、「オープンスペース」という、何に妨げられることなく広く開かれた空間を意味する言葉が、この、学校という建物内部の空間を指す言葉として使われるようになった本来の意味が理解できる気がするのです。
学校がこれまで閉ざしてきたもう一つの境界、地域との境界も開こうという試みも同様に広がってきました。地域に開かれた、地域の人々の学校=オープンスクールです。地域の人々の授業への参加、特別教室などを開放して行われる生涯学習機能など、地域施設としての学校の多くの可能性が提案されてきました。かつて学校が、地域みんなの施設であった時代のように「おらが学校」として愛される学校を目指して多くの取り組みがなされてきました。
一方、近年連発する子どもを脅かす犯罪に対して、学校は子どもたちをこれまで以上に、慎重に厳重に守る責任を負っています。地域との連携を謳う中で、防犯・安全の責任も負わなくてはいけない今日の学校には、複雑で難解な課題が山積しています。こうした課題を抱えながらも学校を地域に開いていくためには、地域との連携システムの構築が不可欠であり、ここには、本当に理念や精神(といったソフト)のオープン化が第一に求められているのではないでしょうか。本当のオープンスクールが実現できるよう、我々はこの「オープン」という言葉の意味をもっと真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
Comments
これからは,学級,学年,学校,学区などの規模を改めて考える必要が出てくるように思っています.また,このサイトへ,おいでまし.
改めて考えさせられました。
小生は学校からは離れてしまって久しいですが、ベースは学校なので、いまだに興味持ってます。
池田の事件以降、せっかく街に開きかけた学校が、逆行して閉ざしていってるように思えます。
はじめて打瀬小学校を見たときの感動を思い出しました。
また来ます。